光運寺について

光運寺について

HOME光運寺について
光運寺について
~より豊かに より幸せに~
700年前に一人の僧侶が
仏道を求め
この四日市の地に
念仏道場を建てたのが、
光運寺の起源です。
光運寺は仏教に出会えた奇跡に感謝し、
仏様のお導きよって、より豊かにより幸せに
共に生きる人が集うお寺です。
光運寺概要
正式名称:三重山 大知院 光運寺
宗 派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
開 創:正安3年2月(1301年)
宗 祖:法然上人
教え
阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」と称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
お経
お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経をよりどころとします。
光運寺の縁起
光運寺の縁起
正安3年2月(西暦1301年)、聖覚法印を開基として、上野国国府の明観上人が一宇を建立、三重山東源院尊乗寺と称しました。応仁の乱で兵火に遇い、のち源誉超順上人によって再興され、浄土宗総本山知恩院第二十七世徳誉光然上人の来賜を仰ぎ浄土宗となり光運寺となりました。境内に第九世乾誉上人夢告の延命地蔵尊があり、毎日100名以上の信者さんが参詣に訪れています。現在地には第十世戒誉上人の時(宝暦年間)に移転しました。
明治になって立地条件の良さから、1872年11月四日市学校(のち第一尋常小学校、現中部西小学校)が光運寺に創立され、また昭和19年(1944年)には健民修練所も設置されました。別格中本山として隆盛を誇りましたが、昭和20年の大空襲により、全ての伽藍が消失してしまいました。戦没者の菩提を弔うために、当時の檀家の尽力により、焼け野原に一番に光運寺仮本堂が建築されたそうです。
平成24年念願の新本堂が建築され現在に至っています。
光運寺の歴史
1301年明観上人、念仏道場として尊乗寺を創建
1472年源誉上人、一万日の念仏を修して伽藍を再建
1872年四日市学校(第一尋常小学校・現中部西小学校)が光運寺内に創設される
1916年四日市仏教寺院有志により、四日市仏教保育院創設
1945年四日市大空襲により全ての伽藍が消失
1951年四日市仏教保育院を四日市市へ移管
1966年功誉上人、本尊阿弥陀如来を造立
2012年新本堂再建
2016年五重相伝会奉修
所在地
〒510-0082 三重県四日市市中部3-12